スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと経済学科

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大学で経済を専攻している、またはしていた人で、お金持ちの人の割合はどれくらいいるだろうか。あくまでも推測だが、そこまでいないのではないかと思う。なぜなら、日本経済や世界経済について学ぶ機会はあっても、個人の経済を最適化することについてはあまり学ばないからだろう。あくまでも日本や社会がよくなり、そのおこぼれをもらうことが個人の富の最大化であり、そのために経済の仕組みを学ぶというのが経済学だという方向性なのだろうか。ちょっとその辺はよくわからないが、よくわからないなりにもそういうことを学生時代から感じていた。

ベーシックインカム社会保障の話が経済を専攻している人の中であまり出てこない。私の周りの経済学科出身者も、ひたすら企業労働生活に傾倒し、世間様が承認する通過儀礼をこなし、真っ当なカイシャジンとして生きることに邁進している。経済学とはなんだっただろうか?などと問いかければ、福祉とは何だっただろうか?などと問いかければ、経済は何のために存在するのか?などと問いかければ、嘲笑されるか嫌がられるかのどちらかだろう。そんなものなのだ。

個人の尊厳のために学ぶという風潮はこの国には少ないと思う。でなければ、幼少期からお金や税金や心理学をもっと学ぶべきだし、化学や物理や計算についてもわかっておくべきだろう。しかし実際は抽象的な国語(言語についてきちんと学ばない解釈類推型国語)や総合学習、体育などが優先され、科学は筋肉と根性によって否定される。オリンピック開催中に学生をボランティアに動員させるために学びの機会をずらそうとするような国家なので、仕方ないかもしれないが、現実的には学びの立ち位置は今の社会にとってそんなもんなのだろう。

考え方次第では、知識をつけることの魅力は無限大であるように思えるし、私はずっとそう思ってきたが、世の中はそうじゃないらしい。自分の利益のために勉強することはダメなのだろう。そしてそういう形だけの「脱・身勝手」「脱・個人主義論」が、皮肉にも既得権への富の集中を招いているという冗談では済まない事態をもたらしてしまったのだ。