スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと未来の処方箋

別館『スキゾイド雑記帳』も更新中です。 http://schizoid.hatenadiary.jp/



月曜日の昼。今日も心療内科の受付には長蛇の列ができている。2030年に人工知能が人間の役割の大半を置き換えたことで、本格的に人間の生存価値がなくなってきた。

特に賃金労働に依存する日本人は大半がその役割の喪失を受け入れることができず、自分を騙しながら労働を創出し、極度の低賃金でブラック経営者の奴隷となりながら生きていた。少ない所得の大半が生活費に消え、世間体を捨てきれない国民体質から、無理に結婚や子育てをする貧乏核家族が増殖していた。困窮家庭ほど子供が増え、絵に描いたような貧困の拡大再生産が起こっていた。

教育現場や部活動、企業などの閉鎖空間における暴力や加害行為も社会問題化しており、自殺も増加傾向にあった。政府もこれらを直視せず、パフォーマンスを繰り返し、貧困横並びを国民に納得させていた。「みんなで苦しい時代を生きよう」などといったスローガンが街中に掲げられ、24時間テレビ毎日放送されるようになった。毎日何かしらのイベントが開催され、人間の「つながり」「絆」を口に出して確認しあうことで、豊かさのすべてを失った国民の承認欲求に対応していたのである。

たとえば、ドラマの恋愛と現実の恋愛がまったく異なるように、ドラマ(夢・偶像上)の人間関係と現実の人間関係はまったく乖離していた。実態が悪くなればなるほど、表面的な人間関係は至高のものだという世論が強化され、人々も建前上はそれを称賛していた。だから、「つながり」や「絆」が日々メディアから垂れ流されているにもかかわらず、心療内科 には長蛇の列ができているのである。

心療内科は整形外科を超える需要を持つ一大分野となった。そんな心療内科に画期的な治療法が導入された。人間の情緒不安定に対する特効薬が開発されたのである。それを処方し、3分間面談を行うだけで、鬱状態が完治するというものだ。

治療法の名称は「人間害悪」、つまり、そもそも人間は有害なものであり、その害を踏まえた上で適度な距離を置かなければならないということを認識させる治療である。人間は人間に期待しすぎた。所詮は異なる脳細胞を持つ別個の生き物であるのに、「みんなでひとつになろう」とか「絆」という言葉が独り歩きしてきたこの100年の常識を疑ってみようというものだ。

「人間イコール害悪、処方しておきますね!」

以前は鬱蒼としていた心療内科に、医師の軽快な声が響く。不治の病とされた悪性新生物が駆逐されたように、不治の病であり人間の宿命であった「心の病気」も駆逐されつつあった。

そもそも学校などの集団生活はなぜ必要だったのか。歴史経緯としては、産業革命以降に工場労働者を大量に育成するためであった。同じ労働を均一に効率的に行わせるため、機械のように正確に等しく教育する必要があった。社会基盤が整備されていなかったから、個別に教育することができなかったため、学校という場に集めただけであった。

50年後に会社でも同様のことが起こり、在宅勤務などが普及した。要するに、団体生活は効率化のための手段だったのであり、社会性とは無関係だったのである。学校教育や部活動、企業活動が普及する以前にも市民社会を統治するための法律は存在していたし、正当な権利と義務が存在した社会があった。

それでも、集団教育・集団活動が必要なくなった後の社会で「人間性を育む」と主張する者もいたが、環境だけが古いまま社会が変わっていたため、それが逆に人間の精神負荷を増大することとなり、人間性の醸成という大義名分が仇となったのだ。