スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと新陳代謝

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この数年、人の機嫌の変化を気にし、ひたすらそれに嫌気がさす時代でもあった。人の感情変化、茶番、繰り返しを忌み嫌うようになったことが、そのまま対人嫌悪につながった気がする。シゾイド傾向も加速した。平坦な感情でいられるようになったきっかけは間違いなく色々なことを諦めたからであり、それはプラスにもマイナスにも作用した。高校や大学の時の私は環境を整えることでそれに満足できると確信しており、学歴・職歴・人間関係を自分の理想に近づけようとするため、満足するために膨大な時間と金と神経を使った。今思えば、あれはすべて明らかに間違っていた。

311以降、すべてをゼロベースで考えるようになって、はじめて気づく。そもそも私は数字や乗り物が好きで、友達とワイワイ盛り上がるよりも1人で乗り物で旅をしたりゲームをしたり勉強したりする方が好きだったのだと。これを貫けば多くの鉄道路線制覇を学生の安い運賃の間に済ますことができたし、、多くの旅もできたし、金を稼ぎ、本当に必要な勉強もしていただろう。私の自由時間と若い時代を潰したのは間違いなく承認欲求だったのだ。これを肝に銘じているから、一切の承認欲求を持たなくなった。持たずにいられるようになったのだと思う。自分の満足や欲望はすべて自分でできる範囲にとどめるようにしている。

いつ死ぬかわからないからやりたいことを優先するというのも祖父母の介護で学んだ。体裁を気にしても晩年が悲惨になるだけだ。わからないことや納得できないことをきちんと頭で考え、考えられることに感謝する。記録に残す。学習する。余暇を楽しみ、飲食を大事にし、知的好奇心も捨てず、常識に縛られずとことん脱線する。常に自分の内面に夢中になる。こうすることで、仕事や猿山社会での評価は皆無となり、昔の友人とも話が合わなくなり付き合いの大半を失ったが、ある意味それも新陳代謝で、今は今で程よい距離で関われる人ができたからそれでいい。結果オーライだ。