スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと主観客観

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自分に危害が加わっていないのに「社会にとって害悪だ」という論調にすり替えて嫌なものを非難する空気がある。25年以上生きてきて、この類の批判を何度も聞いた。どうでもいいと思っても、どうしても耳に入ってくる。犯罪や他人の自由への侵略ではないことに対し、まったく無関係な人間が批判する。商品、サービスについても同様だ。流通しているものを自分の好みで「よいもの」「わるいもの」と決めつけることが平気で行われている。好き嫌いが善悪に化けるとき、そこには計り知れないリスクが生じる。

感情のある動物だから、好き嫌いで物事を判断してしまうのは仕方がないことで、それ自体を抑制することはできない。ただ、自分の主観の正当性を担保する ためにそれを一般化、他者と共有して客観的なものにすり替える行為こそが危険だ。「私は変わり者なのであくまでも私個人として**と思う」ではなく、「私はこう思う、これは正しいよね?だって**だから」といった具合に、どうしてもそれがマジョリティーだったり正義であることに人はこだわってしまう。

自分はそれをしないと思っていつつも、おそらく日々の言動の何パーセントかはこうした「すり替え」による行為をしているのだろうと残念ながら思う。それをできるだけ最小限に食い止めたいし、非科学的な理由で何かを批判したり否定したりすることは避けたい。こればかりは自分で意識するしかないのだろうなと思う。