スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと他者認識

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私は基本的に人間を「有害な人」と「無害な人」に分けています。基本的に人間にあまり関心がなく、自分は自分、他人は他人と割り切って考えています。無数の人間が存在し、利害関係も様々ですから、個人の主観で好き嫌いを言っていてもどうせ理想的な状態など起こりえないからです。考え方も十人十色、統一することは不可能で、何かを自分色に統一しようとすればそれは攻撃性に変わります。私欲を他人に押し付けたり他人を自分の思い通りにしようとしたりする欲望の末路が負の感情、他者への侵略、侵害であり、不要な衝突は避け、憲法に記載されている文字通りの「自由権」を奪わないことが、人間が人間である最低条件だと考えています。

とすれば、私にとって「有害 な人」、感情的に言えば「嫌いな人」というのは、あまり多くないことがわかります。今現在、私に危害を加えている人は誰でしょう。おそらく私の労働現場の長だけです。前の部署の労働現場の長に対しても嫌悪感は当然ありますが、今は一切のかかわりもなく、私の上司でもないので命令権もないわけです。おかしなことを言ってきても無視すればいいだけですから、何のストレスにもなりません。電車内で変なことをいう人がいても基本的に無視しますが、あれと同じ構造です。こう考えると、頭に浮かぶ「私が負の印象を持つであろう人々」の大半が、もはや善悪、好き嫌いの評価対象にすら入っていない、私にとって生きた存在ですらないことがわかります。

つまり、私がこの世で唯一嫌悪感を持ち、今すぐにでも死んでほしいと思っている人間はこの世でたった一人ということになります。今の労働現場の所属長です。この人物さえいなければ私の人生におけるストレスは何一つありません。逆に、この人間が次の条件を満たす限り、私は苦しむわけです。第一に、生きていること。第二に、私と経済的利害関係にあること。第三に、閉鎖空間で共同生活をしていることです。これらを解消するには、相手が死ぬ、私か相手が退職する、上下関係が解消される、の3つしかありません。どれかが満たされれば、相手は私にとって「無影響」となり、存在自体が認知するに値しないものとなりますから、良くも悪くも感情が起こらなくなります。

面白いですね。世界中でたった一人の人間が嫌いで、有害で 、死んでほしいという考え、全神経、全恨みがそこへ投入され、それゆえに他の無数の人々に優しくできるのかもしれません。愛の反対は無関心だとよく言いますが、私の場合、法律に背いたことをしたり、自分に危害を加えない限りは相手がどんな人間でもどんな考えでも関係ないというスタンスで他人と距離を置いていますから、むしろ適正な距離をとっていることこそが愛情だという考えです。嫌がらせも暴力もハラスメントも喧嘩も、きちんと適正な距離を置いていれば起こりません。接触しない乗り物が事故を起こさないのと同じです。関係ない車の動きを見て、言動が気に入らない、スタイルが気に入らないとイチイチ怒らないでしょう普通は。それと同じです。あらゆる人間に寛容な私が唯一死んでほしい人物、私の今の部長。こうして文字にすると、これほどまでに死んでほしいと思われていることが可哀想になってきますね。