スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと40年

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すでに機械化や非正規化によって単純事務を正規労働者が行うことはほぼなくなり、非正規や機械によって置き換えられている。だから新卒で事務職で入社しても、ルーティーンなどの業務はなく、人を管理したり、企画を求められたり、とにかく即戦力を要求され、低賃金で上司の若手時代とは比べ物にならないほどの負荷をかけられることがある。そしてそれに耐えられないと世代のせいにされたり、精神論で定型化されることがある。昔の人間はまともで、今の人間はおかしいといった主張を人口数の暴力で正当化し、景気や社会的需要の度外視した現役世代へのバッシングが今日も新聞などのメディアで騒がれ、ニュースでは何も知らない芸能人が多額の金を自分のものにしながら、貧乏な若者を叩く。

幼小中高と子供に夢を与え続ける学校。教員は自分のやりたいことを見つけようとさせようと必死だ。やりたいことなど実際にやってみないとわからないのに、表面的な印象と断片的な知識、ブランドだけで、学生に夢を持つことを強制する。それが「キャリア形成」の第一歩となり、仕事に対する幻想を受け付ける。実際には、労働は苦しいことが多く、特に文系就職(会社へ就社する場合)の場合は総合職採用でも一般職採用でも、正規労働者には必ずジョブローテーションが伴い、強制された環境で上司や組織に一方的に服従することが求められる。だから、夢ややりたいことなど、結局は「後付け」にすぎない。管理職や強い立場になった時に、そこにある自由を前提にするからこそ「仕事がやりがい」などといえるわけで、渦中は禿げるくらい悲惨で単なる縦社会だ。

このジョブローテーションという罠は、就職ではなく就社する場合にはかなり注意であって、技術系のように最初からやるべきことや専門分野がある程度固定されている場合とは大きく異なり、何もできないということは、すべてやらされる可能性があるという危機感的基本原理を、学生のうちから把握しないと、とんでもないことになるだろう。そして、就社で済ませようとする場合、組織生活や集団生活に過剰のストレスを感じる性格であると、先は明るいものにはならない。常にストレスを溜め、30代で成人病にかかり、ストレスに伴う様々な疾病によって労働から解放される年齢に届かずに死んでいく。組織にしがみつかなければ生活が危うくなるという精神的負荷が常にかかるのだ。

同じ環境に40年間いるというのは、日本の男にとっては当たり前なのだろう。男は一生働く、連続的に、休まず、経験も積み、それが正解である、それを誰もが望んでいる、という固定観念とそれを軸に回っている社会。帰属意識を苦にせず持つことができない人間は、生き方の多くを奪われる。高校の時点でこの性格に気づき、どうすれば人間関係によって即死しないかを考えられるかどうか。それが生死を左右するのかもしれない。学校のように、休暇によって息継ぎをすることが許されたり、数年ごとに環境を変えてやり直しができるシステムが整っていれば、自殺も鬱も引きこもりも少子化も晩婚も犯罪も非行も虐待も望まない妊娠も貧困も詐欺も不況も少しは改善するのではないかと思うし、根拠のない妄想で若者の甘えと叩き潰されそうなこの記事も、少しは書きやすくなるのかもしれない。