スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと抗議文化

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問題発言に対して抗議やバッシング、批判をする際に、それが何の目的なのかを忘れないようにしたい。個人的な感情の発散で何かをバッシングすることは好ましいことではないからしないとして、理屈で考えておかしいと思ったことや矛盾点を発見したときに、自らの意思表示をする際の目的は何だろう。

 

おそらく、特定の「誤った方向とされる」考え方が「支配的」になり、特定の人間を「束縛」してしまうことの阻止ではないだろうか。問題発言として取り上げられる人物は大抵大きな発言力を持った権力者であることが多く、こうした人物の言動は一般大衆の行動を扇動しやすいと思われる。こうした扇動で、特定の人々の自由や権利が他人により侵略されることを防ぐ必要があるだろう 。第三者として特定の立場から意見を言う際、問題とされる事象の矛先にある犠牲者を救済することを常に頭に置いておきたいと思う。

 

批判記事などを読んでいて、記事の中身と同じくらい、それが何をゴールとしているか考えることが重要であることを、改めて感じている。果たして今までの自分にそれができていただろうか。意見を自由に言える環境があると、時々忘れてしまうことがある。