スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドといいね

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SNSによるいいね文化が浸透し、それが承認欲求の際限ない拡張だと揶揄されることもありますが、個人的にはそういう否定的な解釈ではなく、それを実社会でも活用する方向にもっていければいいんじゃないかなと思っています。

お互いにみんな他人から認められたい欲求を持っていて、互いに遠慮しながらも相手のいいところを認め、いいねボタンで相手にその意思を送る。それはちょっとした軽い気持ちでできるとてもシンプルな方法によるものです。これを実際の人間社会に活用できないかということになります。

もちろん、実社会にいいねボタンはありませんが、たとえば学校生活や労働における集団行動の中で、いがみ合ったりぎくしゃくしないで、みんなが口癖のように「いいね~」と言いまくる世の中を想定すると、かなり心が休まる空間がイメージできるのではないでしょうか。

命の危険やリスクと戦う救命医とかなら別ですが、私の勤務する団体のように、台本を読んだり役員のメンツのためだけに存続しているような業務をこなすためだけにイライラしたり他人に攻撃的になったり、変な理想を掲げて単純なことを複雑にしたりする可哀想な人が多くみられます。

こういう人たちが、相手のミスや業者への納期遅滞、部署の人間の行動について、執着をやめてSNSでいいねボタンを押すくらいの姿勢で関わることが出来たら、どれだけ苦痛が減るでしょうかね。少なくとも末端には計り知れない解放感があるでしょう。

他人に甘くする分、廻り回って自分にも甘くなることが許されますから、自分自身にも余裕ができ、それが生産性の向上につながったりするかもしれません、そうすればバカンスや休暇もとりやすくなりませんかね。そういう「いい意味でのどうでもよさ」を、人間関係に活用できないかと思うわけです。

こういうと叩かれそうですが、日本人は何でもかんでもムキになりすぎだと思うんですよね。部活や運動会などの学校行事ですら、勝つことだけに執着してライバルを貶したりしますし、楽しもうっていうのがちっともない。楽しもうとしている連中さえも、小さなことで怒ったりやる気がない奴に罵声を浴びせたりしますからね。

適当に流す、惰性で楽しむ、そんなことがちっともできない文化がそのまま労働で延長戦として繰り返されます。すべてのやりとりでSNSのいいねボタンの感覚で人と接すれば、年間の自殺者も大幅に減るんじゃないでしょうか。

いいねと思えないことはさっさと諦めて、いいねと流せる範囲で頑張る。それでいいと思うんですけどね。無駄にイライラしたり悩んだりして、相互の消耗戦になっているだけな気がします。