スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと評価

今まで数字にしか評価されたことがなかったので、人間が人間を評価するという就職面接の世界観・価値観に触れたときにそれをどうしても受け入れられなかった。まともに面接を受けたのは3社だけで、その他はおふざけや知人が受ける面接の事前リサーチを請け負ってのことだったので、就職したい会社など存在しなかった。

なんだかそういった村社会に気持ち悪さを感じていたし、従来はいらなかったコミュニケーションややる気などの精神論が蔓延していて、どうしても気持ち悪かったのだ。部活をやっていなかったのも、スクールカーストに影響されなかったのも、人に興味がないのも、おそらくこの「人が人を評価すること」の気持ち悪さからきているのかもしれない。

偏差値や金のような数値でしか客観的な判断はできないし、主観で人をマウントしたり差別するといった行動は害悪だと考えている。そもそも偏差値や金自体も、個人の幸福を高めるための道具でしかなく、偏差値もブランド大学に行くためではなく進路選択におけるリスクヘッジを増やすためだと思っている。

金も同様で、それがステータスだと喜んでいる人は勝手にそうしていればいいと思うし、それを否定もしないけれど、私はあくまでも自分の趣味や余暇を充実させる道具でしかない。あとは信用できないこの社会で生存するための道具といったところだろうか。