スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと逃げ道

新学期になると学校に行きたくない人たちへという類のタイトルで、図書館などに逃げていいというメッセージを見かける。個人的にこうした救済メッセージには好感が持てるし、自分自身も学校に行きたくないことなど年中だったので、こう語りかけられたらおそらくうれしいだろうと思う。

小学校時代からみんなで同じことを意味もなくやることに違和感を持っていたし、中高の行事などはなおさら面倒だったので、本当に苦痛だったのを覚えている。普通に友達がいた私でもそう思うのだから、いじめやトラブルに苦しんでいる人の程度は計り知れないだろう。ただ、学校からは逃げられるが、労働や人間社会からは逃げられないというのが残念ながら現実である。

学校のいじめ自殺が問題視されてから数年が経過した今、労働者の自殺が問題になっている。過労死問題にされているが、実際は拘束時間以上の精神的苦痛を伴う人間関係があるのだろうと容易に想像できる。こうした会社員・労働者に「会社に行かなくていいよ」「会社に行きたくないときは逃げてくればいい」という言葉はかけられるだろうか。答えはNOである。

結局、今の社会の限界がそこにある。学校から逃げても会社からは逃げられない。会社から逃げれば生活ができなくなる。賃金労働と人間関係に自らをゆだねる構造から脱却しない限り、結局、9月1日の地獄は繰り返されるのだ。だからこそ、学校から逃げている間に、社会や人間関係からも上手く逃げられる(距離を置いて生きていくことができる)ような武器を身に着けることが必要になる。さんざん逃げさせたり夢を見させておきながら、労働者になった途端に自己責任論で追い込んだりや冷笑を浴びせるような社会がその先にあることを教えないことは、なかなか残酷なことだろう。