スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドとディストピア

無駄をなくすという行為は嫌われやすい。定例の会議、ベーシックインカムではない間接的な経済政策、人間による行動が最高とされる人間至上主義、作られたおもてなし文化の裏にあるブラック労働、社員を大切にしないブラック企業の社会貢献事業など、明らかに嘘くさいことが正当化され、誰も信じていないものをみんな信じたふりをしている。

それらを淘汰して富を再分配することや、人工知能に道を譲ることを人間は嫌う。人工知能によりこれほどに仕事が自動化されてきた今、労働至上主義は、1億人の国民に文化的な権利を与えることができなくなってきている。

十分な需要がなくなり、そこに人だけが溢れ、仕事のための仕事を作り、ひたすら搾取が行われる。にもかかわらず、相変わらず、人口を維持しなければならないという考えが支配的だ。支配的な程度はどのくらいのものだろうか。

そんなことを考えつつも、人口はやはり維持すべきだとされ、年寄りたちが、自分たちを支える人間が少なくなることを危惧している。年金を支払う労働奴隷がいなくなることを恐れているのだろうか。

年寄りが年金のあてを失ったのは、子供を育てにくい社会構造を今の年寄りが作った結果ではないだろうかと思う。人が生きにくい社会と重なり、特定の年齢層が減少する事象は誰によってもたらされたのか。それは嘗ての社会の構成員ではないだろうか。

年寄りや既得権者が若者にしたり顔で言う「自己責任だ」という言葉。まさにこれが、人口減少や少子化、結婚文化の衰退なのではないだろうか。自分たちがそういう社会にした結果、人間の命のリレーは絶対的な存在ではなくなった。それを受け入れることが昔の世代の責務であるように思う。

ただ前の世代の面倒を見たり過去を正当化するために生まれてくるのであれば、これからこの世に降り立つ新しい生命がとても気の毒だ。

ひたすら子供を増やせという考え方は危険だ。特に無計画な子作りは低社会層に蔓延しやすく、無計画な家族形成は子供の発育環境に悪影響を及ぼすし、そういった子供が学校や社会で害悪行動を繰り返す可能性もある。虐待問題も同様だ。連鎖する。戸籍問題も同様だ。

一方、昔のように「結婚したら・親になったら」一人前だという考え方も危険だ。世間体のために作られた命、愛情を受けずに親のアクセサリーになった子供も私は知っている。ひたすら人口を増やせばよいという考えは現世への拉致といっていい。とても危険だ。

親になることのハードルが低すぎる。更新型免許制にしてもいいくらいだろう。私は正常な家庭で育ったので運が良かっただけだが、そうじゃない人があらゆる社会層に存在する。環境の犠牲者だ。

人は生まれた瞬間にいずれ死ぬことが確定する。命を生み出すという行為は生み出された命に有限性を与えるということだ。若くして自殺するようなマイナスにしかならない人生を生きるのなら、生まれたこと自体が不幸だったと言わざるを得ない。既得権者の性善説で済む問題ではない。