スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドとリスクヘッジ

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労働や社会のリスクについて、日本の学校では学ぶことができない。社会や人間は理性的なものだという前提で、その完全性を軸に話が進んでいく。だから「社会で活躍できるように」とか「社会でうまくやっていけるように」という言葉が飛び交う。

社会が不完全であり、社会を人間の生き様によって修正させていかなければならないという理論は存在しない。それは仕方がないことで、個々の性質が違う人間に社会が合わせることは難しく、せいぜい最大公約数を指標に社会は動くしかないのだろう。

人間が社会を見極めて、その時の環境で最も幸福を実現できる選択と行動をするしかないのだ。幸福を実現するためには何が必要だろう。幸福自体も人によってさまざまだ。金・時間・家庭・世間体・趣味・飲食など、あらゆる個人の幸福指標が存在する。

どれが良いとか悪いとかではない。人間は全員が別物で、何を考えようと他人の自由を侵害しない限りは自由だからだ。問題なのは、個 人的な幸福を追求するための教育が何一つ行われていないことだ。

たとえば学校では金の教育をしない。生きていくためにどれくらいの金が必要で、そのためにはどんな進学や就職をしなければならないのかということを一切教えずに、なりたい職業や夢を漠然と語らせて理系・文系などという大枠で進学だけさせるから、行き詰ったり無気力になったり大学に入って勉強しない学生が増えたりする。

思考停止によってブランド志向が出来上がる。ブランド志向が通用したバブル世代が今の教育産業を支配している以上、ブランド志向は続く。ブランドが何の役にも立たないことは昨今の求人や大学別就職状況を見ればわかることで、どこで学んだかよりも何を学んだかの方がはるかに重要であるのに、学校はそれを教えてくれない。

予備校も、志望学科より志望校にこだわる。入学後の生活については知りませんという形だ。既に労働市場では人間が過剰になっていて駆逐される勢いなのに、いまだに労働神話によってブラック企業の組織的犯罪が野放しにされて若者が自殺するような国になっている。

それでも平気でいる世間が生み出したのが、東京五輪準備従事者の過労自殺だったりするんじゃないだろうか。