スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと持たざる余裕

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景気のいい時代の人間は色々なものを持っている。家庭・世間体・仕事・地位・固定資産などだ。あらゆるものを手にすることが当たり前の時代だったから、それを維持することにとても固執するし、そのために多大なストレスを溜めているように見える。

私の親や祖父母世代がまさにそれで、自分たちが恵まれた好況世代を過ごし、持つべきものを持ってしまったからこそ、それに人生を束縛されているような気がする。財産、戸建て、世間体、安定した労働、家庭を持つこと、子孫を残すことなどなど。

不況に生まれ、学歴が役立たずの紙切れとなり、正社員神話が崩壊した時代を生き、ヒューマニズムの限界や子孫繁栄への展望をまったく感じない私のような人間は、むしろストレスがない。最初から何も期待や理想がないからだ。望むものが極小値なので、恵まれた国や都市に生まれただけで満足するし、昇進も望んでいないので適度に働けばよいとしか思わない。

恋愛や結婚への願望も薄い。高価なものを持ちたいとも思わない。そこそこの趣味で満足してしまう。「まあいいさ」という程度に何でもかんでも流せてしまうのだ。他人の言動も気にならないし、そこまで他人に関心がないといってよい。

そう考えると、持てない世代というのもまあ気楽なものだと思えてくるから、面白い。物事は考えようだなと、改めて思う。