シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドとベーシックインカム

ベーシックインカムについて、国際的にも議論が展開されている。日本のように努力や苦痛を伴う経験、相互干渉による不幸の横並びが最高の価値とされている自殺大国においては未来永劫実現しないような政策だが、財政的にもこの国で実施することは不可能ではないだろうし、今後、余剰となった人口に無理矢理仕事を充てるために劣悪なブラック企業や既得権者によるパワーハラスメントと呼ばれる犯罪行為が増加するのであれば、BIの実現が唯一の不幸回避策なのではないかとさえ思う。

賃金制度を前提とする今の奴隷社会では、組織に絶対的な力が集中し、それは年功序列だ。会社の外に出れば単なる老いたジジイでも、会社で役員をやっていれば、いくら華やかな20代の若者でも、ヘコヘコと奴隷に周り思ってもいないお世辞を言ったりしなければならない。脂ぎったオッサンがどや顔で優雅なポストにいられる唯一の場所が「会社」という監獄なのだ。

だから会社に依存している時点で、奴隷制度に身を埋めているに等しく、非正規雇用が増えて正規雇用の労働条件も急速に悪化、IT化で求められる付加価値が上がり、賃金と要求される仕事内容が反比例している。それにパワハラや上司のワンマン人間ごっこが重なり、自殺する以外にどうしようもない労働者が大量発生する。

賃金制度がなくなり、金が配給されるようになったら、どうなるだろうか。少なくとも私は今の勤務先に雇用されなくなったら今の上司とは二度と口を利かないし、ため口で話しかけてきたら相手にしないだろう。単なる「赤の他人」だからだ。組織を出たら瞬時に「無関係者」となるレベルの信頼関係しかないからだ。

働く意欲が減るという感情的否定については、同意できない。経済的不安がなくなれば、面白い・楽しい・意味があると思える仕事に知能や人材が集結するし、無意味な会議や雇用創出のための無駄な事業・天下り団体は消滅するだろうし、不安が消えることにより人間全体の幸福度は増すと思っている。

結局、さっさと人工知能が人間の活躍の場を剥奪し、敗北を認めた人間がBIの導入を検討することが、既得権者以外の人間を救う最終手段なのではないだろうかと思う。AIとBIのシンクロが唯一無二の慈悲となりうる日まで、私は生きているだろうか。