シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと発散

自分の感情を他人に発散してすっきりしようとする私の上司、喜怒哀楽が激しくその場その場で自分の浮き沈みに基づくご都合主義を演じる典型的な人間様。人間臭さの典型である。自分の中で理想とする台本があり、その通りにやらないと怒りだしたりネチネチ無意味なことに何分も時間拘束する。すでに出ている書類をわざわざ部下に慌てて印刷させたり誰が見ても明らかな確定事項を報告するために、テーブルを囲んで打ち合わせしたがる。「○○でよろしいでしょうか。」などと言わせるのが大好きな人物だ。

こういう人間の消滅を心から祈願している。百害あって一利なしの人物だ。年中機嫌が変わるから意思決定や意思疎通に明らかな影響が出るし、メールで済むようなことを何時間も口頭で議論し合うのが好きで、若手が自分がやってきた人生をなぞって同じような苦労をしてそれを肯定するのを見ているのが幸福なのだろう。趣味もなく、男女平等採用になったにも関わらず、男性にだけそういう仕事へのコミットを強いる。

浮き沈みが激しく他人を使ってそれを処理するのが大好きな人を多々見てきた。結論として、AIが人間よりも優しい存在に思えてくるし、人間臭いとか、人情とか、そういうものが「ガス抜き」と「少数の犠牲」の上に成り立っているのだろうという考えが確信的なものになってきた。

愛の反対は無関心というが、私はどうしてもそうは思えない。他人に関心が強い人間ほど他人への執着が強く、他人と自分をリンクして物事を考える結果、自分の中の不満を外部へ発散しようと試みる。機嫌が悪い人間が相手にいちゃもんをつけたり意地悪なことを言うのもそれだ。最初から何も期待せず、誰にも期待せず、自分の中の感情は全部自分に起因するものだと納得できれば、自分の中で最終処理を行い処分できるはずで、それができないから、人間は小さなことで醜い争いをするのではないか。

「人間だからしょうがない」などと、既得権者や組織の中の高齢者は口をそろえて言う。そろそろ氷河期世代団塊ジュニアもこの発言に染まってくる頃で、一切合切を若年層にぶつけて、若年者は自殺し放題となる。いじめやパワハラもそうだ。感情を抑えきれない人間が、人間だから他人を攻撃してしまうのも仕方ない、などというのならば、いっそのこと人間が人間らしさを失った方がマシであるとさえ思う。人間らしさが、学校・労働・組織・家庭で「人間を苦しめる」ものとなりつつあるのだとすれば、そんなものは絶滅してくれた方が良い。機械のような単調性・不変性が、安心と慈悲をもたらす時代も夢ではなさそうだ。