シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと人間嫌い

私の人間嫌いは並大抵のものではないと思う。人間嫌いというか、人間を避けてしまう。苦手な人や何か責められたり嫌な思いをする場面に特化して好きじゃないわけではなく、人間の群衆的な言動や存在すべてに苦手意識がある。複数以上の人間関係になると場の不和が生じる危険に敏感になるが、なんだか人間を見たり観察したり興味を持ったりすること自体にも興味がなくなってしまった。

たとえば私も普通に音楽などを聴くし、注目度が高いアーティストの曲を聴いたりもするのだが、歌手やグループに所属する人物にはあまり興味がないというか、まったく興味がない。ライブのような一体感も苦手だし、画面に映っている人間の性格とか人間性とか人間臭いものに触れることにそもそも興味がない。テレビを見ていてもドキュメンタリーはやらせだと思ってしまうし、芸能人の私生活やトーク番組にも興味がわかない。だからSNSにもはまらないのだと思う。

同じような理由で、スポーツにも興味がない。何かの手柄を自分のものみたいに誇ることも好きではない。何かの勝敗や優勝や記録にも興味がなく、個人の能力が数値化されることにしか執着がないから、もともとスポーツや芸術で凌ぎを削ることにあまり関心がわかない。日本代表とか、地域代表とか、そういうものに期待をしたり一喜一憂したり野次馬精神を剥き出しにするようなことも今まで一度もなかった。男性なのにスポーツにまったく興味がないから変人扱いされやすい。

宝くじは買うが、競馬には興味がない。たぶん同じ理由で、自分の何かを相手に託してそれに期待したり注目するという行為が自分の中でしっくりこない。あくまでも自分の満足や感情は自分自身の中で発生させて完結させるべきだという防衛反応が起こっているのだろうか。よくわからない。

だからテレビのバラエティのカラオケバトルとかああいうのも別に面白いと思わない。人がパフォーマンスしているのをじっと見たり追いかけるのがあまり得意ではないかもしれない。自分がペンや頭や身体を動かしている方が落ち着くのかもしれない。文化祭や体育祭も待ち時間が苦痛だった。なんというか、自分の中ではどうでもいいのに全体の目標のために一喜一憂しないといけなかったし、どうでもいいことで怒ったり泣いたり感情を剥き出しにしている周囲に対して嫌気がさしていた。