シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと更生

他人に関して、不満や愚痴を言っても仕方がないし意味がないと思っている。私は他人に期待していないので些細なことで他人に腹を立てたりしないし、基本的に身近な人間を除いては害か無害かの2択で最初は判断するので、そこで害だと認識しない限り、嫌悪感や警戒心を持つことはあまりない。

ただ、仮に害がある人間だとしても、その愚痴をいうことは無駄だろうと思う。相手が変わる可能性はゼロであり、相手が自分の世界に存在する時点で害を及ぼす存在であることは変わらないからだ。

嫌な人間や自分を苦しめる人間がいてどうしようもない時や何とかしたい時、私が考え付く解決策は「自分が死ぬ」「相手が死ぬ」「相手と金輪際関わらない」の3つしかないと思っている。社会関係や労働関係の場合は最後の選択肢は現実的ではないので、実質相手の死を待つしか選択肢はないということになる。消えれば害も自動的に消滅するからだ。

だから自殺はなくならない。害を激しく被る状態を回避する策の1つが自殺だからだ。相手が死んだり相手が生活圏から消滅する見込みがないから、その害悪との関係を連鎖するために自殺を選んでしまう。相手を殺すという選択肢もなくはないが、それは犯罪だから許されない。

相手が変わることもあるといわれる。いわゆる更生の可能性だ。個人的に更生はないと思っている。未成年で確信犯的に人を自殺に追い込むいじめや非行、パワーハラスメントをしても平気でいるような人間が、他人へ慈悲を向けるような思考遺伝子をそもそも持っていると思えないし、それを信じて待つだけの価値があるとは思えないし、新たな犠牲者がその間に出てしまう。

更生を主張して犯罪者を野放しにするのは、悪性細胞を「いつか良性に変わるからそれまで信じて待とう」といって治療せずにただ待っているのと同じだと、私は思う。医学的な知識がないのでこの喩えは間違っていると言われそうだが、素人的なイメージではこれが真っ先に浮かんだ。

私の部署のトップも喜怒哀楽発散型パワハラ老害だが、おそらく部下の気持ちを考えて行動するような人間になる可能性はゼロだろう。経験至上主義の年功序列で無意味な会議や行事を後世に永遠に伝え、景気格差を無視してバブル時代の生き方を永遠に繰り返せると本気で信じている人間だ。

この人物が生きている限り、あるいは私と社会関係を結んでいる限り、ハラスメントや汚い言葉で罵られることはなくならないし、録音して訴えても総務が庇って終わりだろう。そうやって若い人間がやめていく。会社も人生も。