シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと学習

若者が何もしない無気力状態になっているという批判があるが、個人的には至って普通のことのように思える。就職活動をする学生が働き方を重視した会社選びをすることに対して年配者からの批判があったりチャレンジ精神がないとかいう非科学的な批判が湧き起こっているが、普通に考えてバブルとは全く異なる時代だし、頑張っても低賃金で重圧だけかけられる酷い労働状況、機械化で昔人間がやっていた多くの仕事が奪われ、付加価値を常に求められるわけだから、凡人はどこにいっても常に生活不安定の恐怖を抱えながら生きていくことになる。
 
学歴や語学力やその他能力を持って臨んでも、苦労を知らない世代にパワハラやセクハラなどをされ自殺に追い込まれるほど苦しみながらわざわざ生きていたいと思うだろうか。働きたいと思うだろうか。夢や希望や願望や野心の前に、普通の生活や普通の人生を送ることができるかどうかに、注目の対象は移行してきているから、話がかみ合うことはないだろうと思う。
 
そしてこのリスクやお金の話は一切学校で教えてくれず、ネガティブなことは隠されながら子供は育ち、個性だ夢だと騙されながらインフレした学歴だけを購入させられて無職や就職難で自殺を考える人間が1割も2割もいる悲惨な状況。情報収集は個人の努力義務だという考えもあるけれど、あまりに窮屈な世界だと感じる。
 
消費や恋愛や結婚も同じだろう。便利な時代になり、娯楽や楽しみ方が多様化し、金をかけることでしか楽しめない時代ではなくなった。ひたすら仕事をして、高価なものを買って満足という生き方以外もできるようになった。恋愛もメンヘラという概念が発生したりATM、リア充、ボッチなどという言葉が出来たりして、どんどん窮屈な存在を放つ存在になっている。結婚も、経済的な問題をクリアしたとしても、親が不仲だったりすれば結婚そのものへの憧れもなくなるし、いずれにしても「○○をすれば、買えば幸せ」という幸福の方程式のようなものは今は成立しないんじゃないだろうか。
 
一昔前の方程式をそのまま現代に当てはめて、それに該当しない人間を変人扱いしたり感情的に批判・否定するような世論が支配的になると恐ろしいし、実際にはならなそうだけど、マスコミや圧倒的多数の大人たちが、そういう動きに持っていきたがるのは事実で、社会に殺されないようにしたいと常に思う。