シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと介護

祖父母4名が80を過ぎたころ、それまで全員元気で安心していたのが、状況が一転、父方祖父が体調を崩したのをきっかけに、次々と病気や足腰の不調で介護が必要になってきた。それから約2年、介護に追われるようになった両親の応援として、私も祖父母の生活介助や入通院の送迎・付き添いなど、できることを手伝ったり、頻繁に祖父母を訪ねるような時期が続いた。すでに3名は亡くなってしまったが、母方祖母が今も健在で、週末など、親戚と交代で尋ねることもある。

人間の老いはきれいごとでは済まないほど残酷で、特に祖父母世代は自分たちが兄弟姉妹や親戚が多い大家族で育っていたため、自分たちが厳しい老後を送るイメージができておらず、精神面でのダメージが目立った。今まで人生を勝ち続けてきた祖父母が初めてぶつかる壁が、もしかしたら老いだったのかもしれない。受け入れたくないがゆえに涙を流したりする姿は、寡黙な祖父や気の強い祖母からは想像もできなかった。

人間は必ず死に、人生は有限・時間は有限だ。そう学ばせてくれたのは祖父母だと思いたい。決してセンチメンタルやおべんちゃらではなく、身近な人間が去ってゆくという経験を成人以降に初めて経験した私にとって、昨年や一昨年の出来事は強い印象をもたらすものだった。分岐点というと大げさだが、考え方や生き方を変える意味では、東北震災311と同様に、ターニングポイントになりえるものだった。

時間は有限であり、毎日時間を捨てている。無駄な電話対応、メールで事足りる会議や宴会、かけがえのない時間を売って賃金と交換している毎日、先々いくら必要でいくらほど稼げばいいのかを計算しないまま、会社組織にただただ従っている愚かな生き方をしているという自覚をあまりに失いすぎた。今自分が何をしたいのか、何をすれば満足なのか、やりたいこと、今関わっている周囲の人間、いつかすべてが終わりを迎えるという事実は変わらない。