シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと貨幣

パワハラ系上司の支配に日々耐え、感情的な罵声や勢いがつけば胸倉を掴んで怒鳴るような仕打ちにおびえる日々。そんな状態の今の職場。何の利益も要求されない閉鎖的で古臭い日本社会の典型と言えるような職場。毎日よく我慢できているなと我ながら感心している自分に気づく。

一切の団体行動を避けてきた私にとって、集団生活、それも労働のように無期限拘束を余儀なくされる連続的な義務を課されることの苦痛、というよりも違和感は計り知れない長期休みもなければ好きな時に休息をとることもできない。ひたすら5対2の勤労と休息を繰り返し、ストレスをため、気づいたときには人生が終わりに迫っているという日本人の常識的な生き方。こんな社会に子供を育てようなどと、私は思わない。

そんな私のどうしようもない愚痴はさておき、上に書いたような常識は、実はある一定の条件下でしか成り立たない。それが賃金と貨幣制度。貨幣経済、それも賃金によって人間の経済活動が許可されるような今の社会構造がそうさせている。奴隷のような無制限社員である正規労働者か、自由を手にして補償を剥奪される非正規労働者の二択しか用意されていない労働社会。縁故者や顔採用以外はオヤジ社会に飲まれて死んでゆく。

不謹慎を承知でいうが、これはまさにオヤジ・ジジイの津波だ。逃げようがない圧倒的多数のバブルや団塊や高齢者に対抗する手段はなく、出る杭は徹底的に叩きのめされる。流されて窒息しながら死を待つか、自分もその勢いに便乗して他人を飲み込むしかない。学校社会がそれを早々と証明してくれ、それが子供たちの常識となる。

ベーシックインカムなどで、賃金以外の貨幣の獲得を許されるようになったら、常識は変わる。上司・会社を出れば何の権力もない役員の老いぼれ・パワハラバブル・宴会・接待・同僚・村社会、すべては我慢価値ゼロになり名実ともに茶番となる。古い者が新しい者に置き換えられて淘汰されてゆく電気機械の世界が人間界にももたらされることになり、これにこぼれた人間にもきちんと保障が待っているとすれば、それは理想郷だ。

貨幣と賃金が生まれてくる意味や価値をきれいさっぱり忘却させてくれる。これは現代の魔法だ。何よりも依存性が強く、単純明快にすべての人間を納得させ、強制への抵抗を絶滅されてきた、強力な魔法なのだろう。