シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと外敵

 人によって態度を変えることを好みません。飲食店の従業員やビルの清掃員などに高圧的な人って結構いますが、ああいうことをして優越感に浸れる人の気持ちが私にはわからないですし、自分はそうしたいと思いません。

 労働社会を見ると常々思いますが、人間は苦しみを循環させるのが得意なように思います。仕事でストレスをためつつも外面だけは良くして、家族や友達の前では「本音」という名目で散々ワガママを言ったり当たり散らすといった具合に。それなら最初からストレスの原因を取り除いて身近な人間を大事にしようとは思わないのでしょうかね。

 「みんな我慢しているんだ」といいながら既存のストレスシステムを代々なぞることが良しとされる風潮は残念ながら今後も続きそうですが、そろそろ労働自体が不要になってきそうですし、人間が苦労第一主義で相互に我慢を強制しあう社会も終わりを迎えるのではないかと思います。部活や体育会系、根性論やブラック企業なんかも、何の根拠もない努力神話を強制してくるだけですから、それを強いる側の人間だけが旨味を独占していると言えますし、奴隷制に近いです。束縛されることが快楽だという奴隷精神の人も中にはいますから一概には言えないですけれどね。

 いずれにせよ、私はこうした特定の思想を強制して他人の自由を奪おうとする人間やそういう思考が大嫌いです。何かをやりたければ自分1人でやればいいんじゃないでしょうか。そのやり方が魅力的なら他人もついてきますし、他人が自発的に同じことをしたがらないということはその行為に魅力がないということでしょう。そんなことをわざわざ人生という財産を費やして苦痛を味わいながら続ける意味はどこにあるのでしょうかと思います。

 学校でも労働環境でも、強制する人間はいますし、侵略してこないでと不可侵条約を締結することは難しいでしょう。そのため、侵略者との関係性をきちんと確立しておく必要があります。厄介な人間には必要以上に遜ることなく、親しくすることもなく距離を置くことが重要でしょう。相手の意地悪のターゲットにされても困りますし、かといって中途半端に師弟関係扱いされれば仮に親しみがあったとしても都合のいい奴隷にしかなりません。

 人は究極の気分屋なので、一時の感情で安易に心を開いたり相手の善意を信用したりすると思わぬ災難に遭うこととなります。大抵の人間は立場を利用して横柄な態度をとりますし、日本は年功序列なので、組織の中では年齢が絶対です。だから年齢を駆使していくらでも理不尽なことは怒りますし、いじめやハラスメントは永遠になくなることはないでしょう。侵略クラスターがすべてAIに置き換えられて死滅すれば話は別ですが、他人に先制攻撃を仕掛けるタイプの人間が生き続ける限り、完璧な平和は訪れることはなく、攻撃の受け手はいつまでたっても救われずにストレスを蓄積させることになります。事前の対策が必須です。