シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドとメンヘラ

 「欲がない」「無欲だ」と言われることが多くあります。私は人生において3つのことをタブーとしています。それは「比較」「干渉」「期待」です。

 期待について、人間は無数に存在しますし、相対評価をしようとすればきりがないからです。名誉・社会的地位・財力・容姿・家庭・健康と無数に存在する人間の価値判断のすべてを理想通りにすることなど不可能です。だったら最初からすべてにおいて徹底した妥協を試みて、心の余裕を獲得すべきではないかという考えです。1つ欲しがれば2つも3つもと欲望は拡大しますし、鏡に映る自分の姿を制限しているうちにあっという間に年老いてしまいます。時間は有限ですから、不完全な自分を認めてできる範囲で最大限人生を楽しく生きた方がいいと思いませんでしょうか。

 干渉についても同様です。他人について、何か思い通りに動いてほしいとか、他人が〇〇じゃないからなどという理由で、イチイチ不満を持ったり、穏やかじゃない気持ちで過ごす時間はもったいなくありませんでしょうか。他人は自分と異なる個体で、脳も別々なので、自分の気持ちを察することはできませんし、行動に起因する思考回路もまったくの別物です。だとすれば、他人が自分の期待通りに動くことがどれだけ難しいかは想像に難くないはずです。自分の満足は自分のことを誰よりも知っている自分で作るしかないです。相手はあくまでも相手の人生の主役であり自分の人生のわき役でもありませんから、他人と自分を徹底的に切り離して考えることこそが、他人の個性を尊重することだと私は思っています。

 期待についても、他者への期待については上に書いたのと同じです。人以外についても、たとえば社会や世の中は人が作っているので人に期待できないのと同じで、できることといえばその現実の中で自分が一番いいと思う選択肢をきちんと選んで生きていくことだと思います。商品や飲食についてもそうです。気に入らないのなら別の選択肢をとればいいだけの話で、対象への不満をぶつぶつ言いながらそれに執着するのはいじめやストーカーと同じでしょう。

 私も相当な変わり者ですし、心を病んでいるように思われるかもしれませんが、私はいわゆる「メンヘラ」と呼ばれる人たちのように他人には執着しませんし、誰に対しても自己と他者の関係性の限界を意識して関わっています。友達や恋人に必要以上の期待や妄想をして、相手が思い通りにならないと病んだり暴れたり自傷行為をするようなことは絶対にしません。それ自体が、他人の人権を侵害していることに他ならないからです。

 結局、あらゆることを諦めることこそが心の平穏につながるような気がします。諦めるというのは悲観して自殺することではありません。事実を事実と受け入れて、できる範囲で人生を楽しむことです。明るい諦観主義とでもいえるでしょうか。