シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと生きづらさ

 労働生活が純粋に苦しいです。人間関係に疲れますし、組織の中では年功序列が完全な強弱関係になっているので、若いうちは奴隷です。他人の気分の上がり下がりや根拠のない機嫌にイチイチ左右されなければなりません。立場が強い限り、その人は絶対的な権利を持っていますから、不平等であれ不道徳であれ、いかなる手段を使ってでも我田引水の行動を試みてきます。そこから身を守るために1日8時間以上もアンテナを張り続けなければならないというのはもはや拷問以外の何物でもないでしょう。普通の人ならそういう人間模様を含めて楽しめるはずの社会生活を、私はこう解釈することしかできないのです。

 一度こう思ってしまえば、もう明るく働くことなど無理で、繕った無理のある顔といち早く村社会を脱出したいという切実な願いが態度に出てしまうことは免れません。だから本当の意味でやる気のある人間との差が明らかですし、それゆえに労働至上主義者からは侮蔑されます。侮蔑されて評価が下がって出世できないとかであれば大歓迎ですが、年齢給なので上がらないわけにもいかず、必然的に無限責任が要求されます。

 周りの目のせいにして自ら正規労働者をしているのに、派遣社員が羨ましかったり、限定的な職務で定時にすぐに帰ることのできる契約社員が羨ましくなることがあります。情けない話です。対人折衝がない正規雇用などないですし、私のような人間はこれからもただひたすら己の能力のなさの代償を払う形で忍耐を続けていくしかないのでしょうか、などという醜い愚痴を零してしまいそうになります。

 バカンスがないので、連続で気が休まるのは最長で10日間程度しかありません。10日間が過ぎればまた対人折衝の苦痛が待っていて、死ぬまでその繰り返しという運命を3年が経過した今でも受け入れることが容易ではありません。これを受け入れることは死ぬまで無理でしょう。緩い働き方が許容される文化が私の周囲に発生するか、私自身がしがらみを断ち切って孤立する以外にありません。どんなに特殊な人間でも普通の家庭を持ち、普通の人生を歩むことを肯定するでしょうから、難しいですね。

 それ以外では特に今のところ生きづらさはありません。誰かに期待することもないですし、男女関係や友人関係に悩んでいるわけでもありません。自分の満足を自分自身で作っていくのみですから、いたって単純な毎日です。ただ、労働という私が背負える以上の濃密な人間関係に苦痛を覚えるこの生活に、ときどきどうしようもなく耐えられなくなるのです。

 社会の闇はたくさんあります。心が痛むこともありますし、相対的に見て私が恵まれた環境と生い立ちであることはいうまでもありません。しかし、そのようなアドバンテージの所在や比較ではどうにもならないほどに、この国の労働至上主義が私には理解できず、受け入れられないのです。人生の大半を社会生活・社会関係に捧げる生き方。生まれてきた意味はどこへいったのでしょう。