シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと団体生活

 団体生活は苦痛ですね。団体生活がなぜ苦痛なのかというと、明確な権利義務があるわけでもないのに、その中で強弱関係が発生するからです。働きアリの法則ではないですが、組織やチームや団体を作ると、他人を搾取する人間と搾取される人間にわかれてしまいます。学校の班活動や部活動、労働をイメージしてもその実態は容易に確認することができるでしょう。対人トラブルに普通以上に恐怖心を覚えるシゾイド人間からすれば、この団体生活・集団生活以上に恐ろしいことはありませんよね。

 集団生活、それも3人以上の人間関係というのは、それだけでリスクが増大します。一対一の関係であれば、相手の出方をうかがいながら、トラブルに発展しないように対策をとることができますが、3人以上の場合は自分が一歩引いたとしても残りの2人が争いを起こす可能性がありますから、そうなればもう制御不能です。

 また、冗談で1人がもう1人を冷やかしたり責めたりしたときに、どちらかの味方をしなければならないようなことを仕向けてくる人もいます。「そうだよなあ?○○」などと、一方が同意を求めてきたときに、それに賛同すれば他方が気分を害しますし、逆も同様です。そういう意味でも、奇数人数の関係はトラブルリスクが大きいですし、器用に対応しないといざこざが発生し、収拾がつかなくなってしまいますから、要注意ですね。

 この典型が夫婦でしょう。子供がいるのに互いを尊重しない夫婦は、常に子供をこのリスクと恐怖に追い込んでいることを忘れてはいけないと思います。子供にとって一番の害は両親の不仲といっていいですし、相手を尊重しない親、争いや悪口ばかり言う親を見れば、双方の顔色を常に窺うしかありませんし、家の中でもトラブルの発生を常に意識して先回りをしなければならなくなります。こういう環境で育つとほぼ自分から家庭や子孫を獲得しようと思えなくなりますね。

 穏便に済ますという行為は、どんなに近い関係でも重要で、人間は究極的にすべてが異なる存在なので、何もかもを同じ目線や意見で統一することは不可能ですし、べき論や議論でどちらかに合わせたり納得させようとするのは無理でしょう。こういう意見もあるねとか、こういう考え方もいいねといった具合に聞き流したり差異を認めることは、家族や夫婦や親子関係にこそ重要で、親しいから本音でぶつかるというのは結局自分の意見を押し付けて相手を否定することにしかなりませんし、そこに相手への譲歩、差異の承認という概念はないでしょう。

 私もできるだけ3人以上の手段には所属しないようにしています。特に労働や友人関係についてはなおさらです。特に一方が親しくてもう一方が親しい方の友人などという場合は、内の顔と外の顔を使い分けようとする親しい人間のエゴを垣間見ることになります。友人同士で同じ会社やサークルに入るのも危険ですね。口裏合わせのような振舞を強制されるので人災そのものです。