シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドとヒューマニズム

 人が人を幸せにする、人は最高の存在、人があってこその平和などという、人間の存在をひたすら肯定する文化を私は見てきました。愛は地球を救うと言いながら障害者を笑いものにするテレビ、他人をいじる文化を正当化し学校でのいじめ文化を定着させたバラエティにおける弱肉強食の人間模様もそのひとつでしょう。あらゆる残虐な行為が度外視され、刹那的・限定的な感動ストーリーによる人間の賛美、既得権者が蔓延する世界の賛美が行われる場面です。弱い者を虐待して権力者に媚びる私の上司もこのタイプに該当するのだろうと、チャリティを見るたびに思います。

 態度の悪い人間にレジを担当されるくらいなら、すべての商品を自販機で販売してほしいと私は思いますね。真心や誠意など、それを向けなければならない権力者だけに集中投入され、どうでもいい相手には徹底的なガス抜きと八つ当たりが待っています。そういう場面を無数に見てきました。それならば、人間が機械に置き換わってくれた方が、単一で安定した対応を受けることができるので、機嫌や喜怒哀楽のリスクがなく、こちらも安心できると思います。

 上司がAIになってほしいと常々思っています。いちいち機嫌を見ないといけませんし、決裁権を持った人間が組織の中ではすべてなので、相談や報告は避けられません。その際に相手が喜怒哀楽をむき出しにしてくると、想像を絶する苦痛が待っています。パソコンを相手に申込や問い合わせをするときには一切苦痛を感じませんよね。それと同じです。全部メールでやりとりできればいいのですが、それが許されない以上、相手の人間性に触れなければなりません。となれば、ムラのある判断、気まぐれ、好き嫌いいよる意地悪や差別は容認されたも同然でしょう。

 どんなに仲良くなった人間でも機嫌が悪い時は八つ当たりしてきますし、手の平を返すことがあります。家族でさえもそうです。その日の機嫌で言ってることが違ったり、気分が上がったがゆえに多様性を認めるような発言をしても、翌日には撤回されているなどは日常茶飯事です。いろいろな生き方があるといいながらも、自分たちと同じ生き方を正解だと思っている大人は多いです。

 人は人を救う以上に苦しめます。感情があるからです。感情は喜怒哀楽というだけあり、25%が攻撃性、25%が悲観ですが、悲観は嫉妬や僻みなどを通して攻撃性に変化することが多いです。つまり、5割が危害要因だということです。喜びや楽しさでさえも、相手を攻撃したり束縛したり見下したりすることによって得るものがありますから、多くの感情が他人への侵略と密接にかかわっていることは明らかではないでしょうか。

 いつでも同じように同じリズムで同じ対応をしてくれる機械に、私は強い慈悲を感じます。先が読めないことや攻撃されることを心配する必要がないので、絶対的な安心を得ることができるからです。性善説は死と隣り合わせです。