シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと反出生主義

 命のリレーを無条件に肯定することに疑問を感じています。今現在、私は労働生活を経て人間関係全般に嫌気がさしていて、人間は他人を苦しめる存在であるというイメージを全面的に持っています。客観的に正しいかどうかは関係なく、主観的にそう思っています。人間はずるく、搾取する人間とされる人間がいます。搾取され、侵略される側の人間はひたすら苦しむ。自分から相手へ侵略しない不可侵タイプの人間は往々にして被害者となります。

 こんなことを毎日痛感しながら村社会の一派として息をしているのです。本当に息が詰まりますし、何のためにこんな労働生活を50年間弱も続けなければならないか、一向に理解できませんし、ベーシックインカムによってあらゆる苦痛から人間が解放されるのなら、満員電車もパワハラもすべてなくなるし自殺も減るのではないかと稚拙ながらに思っています。

 いじめを受けたこともなく、虐待されたこともないのに、なぜ私はここまで人間に対して性悪説のフィルターをかけてしまうのか、自分でもわかりません。ただ、学校生活で周囲の人間の攻撃性や卑劣な行為、教員の裏の顔などを繰り返し拝んだことによって、人間への警戒心が醸成されたのかもしれません。感情をむき出しにすることへの嫌悪感も大学入学時には備わっていました。

 大人になれば、学校で起こっている卑劣な行為や事象はなくなると思っていました。残念ながら現実は真逆でした。ハラスメントは大人もやっていますし、就職面接では既得権を手にしたバブル世代が猛威を振るいながら学生を自殺に追い込んでいました。世の中のあらゆる閉鎖空間で人間による残虐行為が行われているのだと知り、絶望しました。大学時代に出会った知人友人の中には家庭環境が悪い人もいましたから、家族の脆さ・不完全さも感じることとなりました。

 学生時代を抜け出せば安全などという「大人神話」が崩れ去った時点で、就職への失望と恐怖心が増幅しました。夢や希望を宣伝する就職サイトや説明会が騒ぐのを見て、詐欺に近いものだと思いましたし、就労した途端に、人間関係と搾取の構造、人間が人間に与える害が循環する構造が目の前に現れました。

 私はもう疲れました。この性格なのに普通の人間と同じように振舞うだけで疲れます。楽しくないことを楽しんだり、興味のないことに首を突っ込んだり、苦しいことをうれしいと言ったり、なんなんでしょうね。

 こんなことを思っているのが現実なんです。もちろん、私は鬱ではないですし、労働(強制的に理不尽な人間組織に束縛される時間)以外は純粋に人生を楽しんでいます。しかし、人生の大半を労働に奪われているのが今の凡人の生き方ですから、当然、大半の時間が「苦しい時間」となるわけです。そんな苦しみの連鎖が多くを占める人生を、果たして肯定できるでしょうか。肯定できないのであれば、子供を作ることはできません。苦しい世界に新しい生命を誘うことは、拉致と同じだからです。