シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと飲食

 好き嫌いはありません。外食や出された飲食物に対して不満を言うこともしませんし、あまりマイナスなことは感じません。不要な贅沢や願望やワガママを言ったところで、場の空気は悪くなりますし、作った人を嫌な気分にさせますし、自分自身も食事を楽しめなくなるからです。嫌なら自分で材料を買ってきて作ればいいし、好きなものを自分で選べばいいからです。わざわざ外食などで他人の作ったものに期待し、それでいて自分の口に合わなかったら文句を言うなんて論外だと思います。

 盛り上がったりするのも苦手です。バカ騒ぎをしたり接待しながらの食事は、作った人に失礼ですし、散々席替えをしてペチャクチャ喋った後に自席に戻って冷めた料理を味わいもせずにかきこんだり残飯を出したりすることにどうしようもない人間の愚かさを感じます。食べ物や産業が大事だと言いながら、飲食を蔑視するかのような態度をとる人間や、対価を払った後に自業自得な文句をたれる人間をたくさん見てきました。激しい違和感を覚えましたが、職場の人間や公的関係にすぎない他人は、わざわざそれを指摘するだけの関係ではないので放置することにしています。

 飲食の時はできるだけ料理や飲み物に集中したいですね。進路や仕事の話はできるだけしたくないです。冠婚葬祭の話題も雰囲気が圧迫的になりやすいので苦手です。できることなら議論もしたくないです。議論は人を攻撃的にしますし、そっちに集中しないといけないので、食べ物の味がしなくなります。だから上司を含む職場の人との会食はどんなに美味しいものを食べても一切味の記憶が残らないので、強制参加ではない場合はできるだけ断るようにしています。財産である時間を搾取されている気分にどうしてもなってしまうのです。この辺は、私がシゾイドだから楽しめないということもあるでしょうから、個人的な問題かもしれません。

 しつけやマナーなども、相手に迷惑をかけていない限り私は気にしません。気にする人に対しては注意を徹底しますが、私は、相手がどんな食べ方をしようが一切不快にはなりません。食べ物を粗末にしたり食事中に喜怒哀楽をむき出しにすること以外はすべて容認します。不快だと思うなら一緒に食べなければいいからです。1人で食べる自由を得ながらも自分が選んだ相手の個性や性格を否定することには何の意味もないと思います。だからマナーだとかしつけだとかで食事の雰囲気を悪くする家庭に生まれた人は気の毒だと常に思っています。厳しくされなくても最低限の他人への配慮は身に付きますから。

 食事を楽しまないのに外食や会食を好む人ってよくわかりません。わざわざ他人や環境を用意しておきながら、それを大事にしないで嫌な時間を過ごして自分も相手もストレスをためるという時間の消費方法に、何の意味があるのでしょうか。人生を溝に捨てるような行為が多い気がします。特に労働の付き合いの中の会食はほとんどこれに該当する気がしますね。