シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと友人関係

 団体行動が苦手なので、交友関係は広くありません。知り合い程度の交友関係を構築することは比較的得意ですが、深い付き合いや内面を開示した付き合いは、ほとんど現実社会の人間関係では達成できませんでした。労働社会や団体主義への違和感などを共有できる仲間が若干いるものの、自分自身の根底にある考えや価値観を共有・開示できる相手というのはそうそう現れるものではありませんでした。私の特殊な性格ゆえの孤立と言えます。

 中学まではほぼ信頼できる友人はいませんでした。あまり人を信用していなかったし、趣味が多かったので、この時期からすでに人間への興味が少なかったように思えます。部活や行事も苦手で、先輩・後輩・同級生など、周りの人々にあまり関心を持つことはありませんでした。むしろトラブルなどを心配して警戒していたように思います。

 高校になると友人関係が広がり、親密な付き合いもできましたが、あくまでも同じ環境で同じ目標があったことによる一時的なものでしたし、大学進学をきっかけに付き合いは消滅するか、徐々に疎遠になり解消されることとなりました。ただ、この時期は自分にも友達ができるとか、友達付き合いは楽しいとか、そんな錯覚に陥ったのも事実で、一時的に対人関係への警戒心が緩んでしまったことにより、進学や就職などの進路設計において、判断を誤ることとなりました。

 大学に入っても友人はできませんでした。もちろん卒業のための知人はたくさんいましたが、本心を明かしたり自分のキャラクターを開示するような人には出会いませんでした。これはまあ自業自得という感じで、自分から対人関係を避けるようになっていたと言えます。懇親会や飲み会には行きませんでしたし、研究室もできるだけ対人折衝の少ないところや、あったとしてもドライな人が集まっているところを選んでいましたから。そんなことを繰り返していると、本当に大学の匿名性に埋もれてしまい、それで別にいいやと思ってしまうのです。サークルや飲み会などのノリも苦手でしたし、お酒も1人でじっくり飲むのが好きだったので、とにかく1人の時間ばかり作っていた、楽しんでいた気がします。旅・散策・飲み・考え事など、単独行動ゆえに自分のリズムでできることに居心地のよさを感じていました。

 就労してからは本当に困りました。この性格と、10年以上も対人折衝から解放されていたことが重なり、他人の喜怒哀楽や団体行動、上下関係、弱肉強食や搾取に苦しむこととなります。今までは危険物から距離を置くだけでよかったものの、自分の生活が懸かっているとなれば逃げることも容易ではありませんから、ひたすら身を削って忍耐を続ける生活があるのみです。それも人生の大半がこの労働拘束によって喪失されるわけですから、時間の経過の恐ろしいまでの速さを感じずにはいられませんし、労働によって犠牲にしているものの大きさを改めて感じることとなります。