シゾイドパーソナリティ障害の生存競争 Schizoid Personality Disorder

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと過去の友人

突発的に昔の知人友人を思い出すことがある。疎遠になってしまった人もいるが、今この瞬間に付き合いがないからと言って、以前親しかった事実に変わりはないし、マイナスに考えないようにしている。大学時代には本当に固定的な一人も友人を作らなかった。一人で講義に出ていれば卒業できるような学科だったからだ。この時の孤独の楽園が、今の労働生活を苦痛なものと感じさせることに寄与していると思われる。


A=中学以来の友人

中高で最も長い時間を共有した人物の一人。いわゆる「サボり友達」だった。温和な性格で多趣味。年中ボウリングやカラオケに行っていた。家庭環境は一見普通に見えるが、極度の保守的な両親で、子供を褒めることをほぼしない家庭だった。高校時代に不登校になったり自殺未遂しそうになったり、死を口にするなど、当時から生への絶望・失望があったらしい。2年の自宅浪人を経て大学に入学したが、レポートを書く行為がどうしても耐え切れず、中退した。その後はバイト生活しながら一人暮らしし、現在は実家生活。この辺りまではコンスタントに連絡を取っていたものの、2012年末から連絡が途絶え、2014年の秋に久々に再会した。多少の気まずさがあったものの、すぐに打ち解け、立川のおでん屋で酒んだ。私の内面もAには相当に話してきた。相談や愚痴も相当に聞いてもらい、感謝すべき一人。その後は年に2回程度会う付き合いが続く。昔のように踏み込んだ話などはしないが、街を歩いて、食事をし、夜に少しだけ飲み、解散するという遊びを続けている。気分が変わりやすく、鬱状態にあるときは連絡をしても返ってこないので、その辺は覚悟して付き合っていく必要がある。今は両親が海外転勤の最中で、実家で一人暮らし。Aは私を唯一の友人だと思ってくれているようだが、人を信じることがあまりにできなくなっており、果たして今後も長期的に同じ間柄を保ってくれるのか、常に先が見えない。


B=高校の知り合い程度

哲学的なことを言う人が多かった。bump-of-chicken全盛期だったので、存在理由・生きる意味・人間とは、など、ウェイ系の人間もいたがそれと同じくらい哲学人間もいた。こうした趣味と哲学の間で親しくなった人物がいた。Bは成績優秀でスポーツもできるよくある優等生だったが、社会や世間体に単調に迎合することを拒み、また、アニメオタクだったため、俗世間にとどまらない色々な持論を展開していて、面白かった。「人生終わった」「学校に毎日通う意味は」「生きる意味は」「使命は」と、一見ヘラヘラしながらも常に何かを考えていた。哲学という言葉で真っ先に思い出すのがBだ。真面目な相談をしてもかなり返してくれる誠実な人物だった。高校時代はほぼ同じクラスで親しかったものの、高校卒業以降は一度も会っていない。機械工学に進み、大企業に就職したとの話はどこかで聞いた。高校時代に哲学していたとはいえ、当時はまだ労働の闇が私たちの意識の内部に侵入していなかった。私たちにとっての生活はあくまでも学生生活を取り巻く日常のみ。その先にある労働社会は健全なものであると刷り込まれ、多数の偏見が蔓延していたので、当時様々なことに中二病的に哲学していた人物たちも、その多くが大学時代に意識を大衆迎合させ、就活・労働に染まっていった。いまだに当時から成長していないのは私だけであり、過去の仲間とすれ違いが起こっているのも納得だ。


C=10年来の知人

中高時代に互いに横浜・湘南地域に通学しているなど共通点が多かったものの、出会いは今でいうSNSがきっかけとなった知人。今はSNSで簡単に集まったりするが、当時はそんなにメジャーでもなかったし複数がSNSで何か連絡を取るという文化もなかった。ただ、完全にオンライン→リア友(死語)という流れを踏んだわけでなく、結局予備校の試験などで意図して会う前に偶然に顔を合わせてしまったので、そこから交流が始まった。何かと色々なことで縁のある人物で、程よい距離で10年以上付き合いが続いている。趣味も性格もすべて異なるが、色々な局面で苦労や境遇を共にしたこともあり、あまりすれ違いもなく関わることができている、良い友人関係。ただ、この人物は色々と家庭の事情が複雑だったり、メンタルに問題をかかえており、就活で精神を病んでしまったことをきっかけに、親子共依存アダルトチルドレン)やボーダーなどの症状が顕著になってしまった。私との関係も極めて複雑なものとなり、なかなか簡潔に語ることが難しい人物の1人。


D=大学時代の知人

同じ学部、語学の講義でペアを組んで親しくなる。偶然にも別の大学を再受験するという共通の目標があり、意気投合。教師になるか医者になるか迷っていると言っており、医学部を受験するために休学し、結局それ以降は復学せず中退してしまった。震災の年は大変な目に遭っていたので見舞いにも言った。その夏に仙台で会い、牛タンを食べ、街を歩き、広瀬川までプラプラ歩き、最後は昔ながらのコーヒー屋さんで雑談し、そこで別れた。夢を追うタイプの人間だったので、当時まだ社会の枠にとらわれてつまらない生き方をしていた私と一緒にいるのが面白くなくなってしまったのだろうか。その後も何度か誘われたり声をかけたりしたが、数年後に音信不通になってしまった。また会えるような気もするが、年賀状のやり取りも終わってしまったし、メールもつながらない。東京に引っ越してきたらしく、そのタイミングで新しい住所から一度手紙が来たことがあった。