シゾイドパーソナリティ障害の生存競争 Schizoid Personality Disorder

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと同窓会

再会

先週、縁があり高校時代の同級生と飲んだ。相手は二人。高校時代に全員が同じクラスだったらしい。そして結構高校時代にも付き合いがあったようだ。こうやって他人事のように書いてしまう時点で、自分にとって高校、もっといえば学校という存在がとても遠いものになったのだと改めて感じる。その飲み自体は、楽しかったし、良い時間だったと思う。もしかしたらもう誘われることもないかもしれないけど、それでも今回の機会は価値のあるものだと本心から思っている。私はあまり友達が多い方ではないし、むしろ少なすぎる部類かもしれないから、こうして過去に付き合いのあった友達と再会すること自体が稀有であるし、大人数よりも一対一・流動的な人間関係を好む性格なので、学校や会社の人と親密に交流するということをあまりしてこなかったから、なかなか新鮮なものだった。特に、当時と今の自分はあまりに別人格で、その変化を感じるのに昔の知人と再会するというのは結構役立つこともわかった。

私がこの10年で変わったことをざっと書いてみようと思う。

趣味

趣味の幅が格段に広がった。飲食全般に関心が出てきたし食文化とか食材とか、栄養・発酵・醸造などにも関心が出てきた。自宅で野菜を作ることにも興味が出てきている。街や交通も、より詳しくなったし、多くの駅を降りて街をあちこち散策することが日課になった。今では都内はほぼすべての駅で下車している。車の運転もするようになった。高速道路網や列車ダイヤなど、交通の仕組みや構造にも興味が出てきた。その他、ブラブラ出かける中で商店街やアーケードにも興味を持った。その他は酒場・酒屋巡りなども。今年に入ってからは本を読むことにすっかりハマっている。特に心理学関係・親子関係やベーシックインカム社会保障については色々と読んでいる。その他、原発や環境など。

競争

高校時代の私は競争に毒されていた。学校にいれば嫌でも成績で比較されるし、勉強以外のことはあまり器用にできなかったので、学力で比較されることに強迫観念に近い執着をかかえていた。それによって多分しょっちゅうイライラしていたんじゃないかと思う。今考えたらとてももったいないと思うし、人と自分を比較してイラついてるくらいなら乗り鉄(電車であてもなくプラプラすること)でもしてた方がよかったと思う。

当時の私は競争に煽られ、自分が勉強したいこともわからないまま仮面浪人などを繰り返していた。仮面浪人で知り合った人もいたし、アルバイトに役立ったこともあったので、いい経験だったことに間違いなかったけれど、別に卒業した私大でもやりたい勉強はできたし、結局理系から文系に転向したので、本を読めばおおよそ考えたいことや知りたいことには勉強できたから、なぜ「特定の大学に属すること」にこだわっていたのかなおさら今は理解できない。当時はもちろん周囲と比較される恐怖心や中途半端な見栄があったのだろうけれど。

そして震災が起きたりブラック企業・ブラック就活の実態を目の当たりにしたり、それで参ってしまいドロップアウトしていった知人を見たりして、社会に適合して勝ち続けて周囲から認められることの価値って一体何なんだろうと自問自答するようになり、さらには「私ってバリバリ働きたいんだっけ?学生時代、部活も行事も嫌で学校をさぼって予備校に行ったりぶらり旅ばかりしていた私が会社で出世とかできるのか?そもそもしたいのか?」と考えるようになる。さらに親族の介護を手伝う中で家事にハマり、家事代行ボランティアを始めたりするなどして「私は家庭に入りたいんだ!」と確信。

あとは祖父母の介護が結構深刻になっていた時期があり、最終的には亡くなってしまったわけだが、その時に思ったのが、「○○べき」っていう考えにとらわれる人生は苦しいもので、最後の最後までそれが自分の自由や楽しみを奪うんだなということ。周りの目線や体裁にこだわってやりたいことをずっと我慢して生きていると、あっという間に人生は終わってしまうし、身体が動かせなくなってからどんなに悲しんでも元気だった過去は戻ってこない。だから毎日が真剣勝負で、毎日がここからが本番だと思って、頑張るよりもとにかく楽しんだり笑顔でいたいという考えに変わった。ヘラヘラ生きる人間に完全移行できたのはこの頃になってからだと思う。

そもそも私は家庭に入りたいのになんで学歴とか大学とか会社とか言ってたんだろうか…自分のやりたいことや本心と全然違うじゃないか…私の10代を返してくれ…専攻も生きていくのに役立つ栄養、医薬品、醸造、水質などにすればよかった。勝ち敗けの負けた先にも面白いものはあって、それを無とみなしていたのがもったいなかった。受験とか就職とか年収とか、そんなもん、いくら個人で頑張ったって土地や資産を持っている人間には勝ち目はないんだよな…

人間関係

友達が少なくなったと思う。大学時代も学校の中には全然友達がいなかった。そもそもクラスや学科単位でまとまることがないので、友達を作りようがない。サークル活動のような固定的な人間関係にはあまり関心がなかったし、複数で群れるよりも一対一の人間関係を作りたかったので、関わる人は少なかったと思う。その分、考え事をしたり街を歩くことは格段に増えたので、一概に悪いとは言えないけれども。

不登校支援をしている人に出会ったり、戸籍関係で問題を抱えている人と出会ったり、毒親との確執に苦しむ人もいたりと、家族の在り方についていろいろと考えさせられることも多かった。ブログで主婦の方の悩みや愚痴を聞くこともあった。性格や考え方が似ていることで出会った人もいて、色んなことを語った。年齢も性別もバラバラで、関わりが頻繁だったり疎遠になったり、あまり固定的なものはない。特に同じ学年や年齢の友達がほぼいない。

流動的な人間関係とドライな付き合い方は、相手に過度の期待をしなくて済むし、自分と他人の境界線を互いに尊重して関わることができるから、なんだか居心地がよかった。これまで過剰に自分と周りの人間を比較し、人を濃く意識しすぎた私にとって、人とドライに関わることで自分も気持ちに余裕が持てるようになったし、実はそういう交友関係が向いているのではないかと思うようになった。数学のベン図をいくつも重ねるように、共有できる話題や価値観に応じて色々な人と程よく付き合っていければいいんじゃないかなと思っている。

仕事や社会的地位、世間体をまったく意識しない人間になったので、残念ながら同性の友人知人とはほぼ話が合わなくなってしまった。彼らは恋愛して結婚して仕事も頑張って育児も頑張ってマイホームを購入して、そうやって全力疾走しながら生きることを賛美している。とにかく輝くことにこだわる。郊外に住み職場と家を往復してどんどんフェイスブックや同窓会で誇れるコンテンツを作ることにセカセカしている感じ。私のようにすべてどうでもいいやと白旗を挙げている人間はクズとみなされ、相手にされなくなる。特に働き方についての考えが同性とまったく噛み合わないのは大きい。

通過儀礼

数年前に知人が私といずれ結婚する意思があることを知る。そしてその話は無期限凍結。相手はアダルトチルドレンなので、親や大人に依存することに執着し、私には関心がない様子。親子共依存が治らない限り結婚は無理だろうと思う。この病気はなかなか治らないらしいので、多分これからも私より実母に支配されることを選ぶんじゃないかと思う。本人は子供を持ちたいらしいが、子供を持つこともほぼないだろうと思うし、私自身も家族を持つことにあまりこだわりがなくなった。

これからの子供は大変だと思う。SNSで学校からして地獄、9月1日に自殺したいほど人間関係は大変らしい。私はこの社会の学校・会社・組織・世間のすべてを信用していないので、子供が欲しいと思わないからむしろ好都合だ。自己実現のために子供を持とうとする人がいるけど、ああいうのは命の私物化だと思っている。

その人物と会うのも、年に数回だけ。互いにこのままパラサイトシングルを続けそうな気がするが、一生を通して関わる知人とでも思っておけばいいだろう。それでいいかなと思っている。もしかしたら、私への愛情なんて微塵もなくて、ただ依存しているだけなのかもしれないが、好きにしてもらえればいいと思う。ただ、私もこのままずっと一人でいると、周りがそろそろ煩そうだなという懸念はある。

家族を持たずにシングルペアレントの手伝いをしたり、既に貧しい子供や困っている子供が世の中にあふれているんだから、そういう子供たちの手伝いをした方が、自分で新しく命を残すよりもいいと思う気持ちも結構強い。

人付き合い

内容が重複するが、上に書いたように生き方が大きく変わったので、話が合う人の範囲も変わった。特に仕事や社会的地位にまったく重点を置かなくなったので、男性と親しくなることが前よりも難しくなった気がする。男性の友達が絶望的にできない。彼らの興味は主に「仕事」「出世」「恋愛」「スポーツ」「競争」で、私はそれらの全部に興味がないから、相手の話に相槌を打つにも限界を感じている。組織や社会に無関心な私は変人だと思われているに違いない。

私は上司に媚びたりしないし、出世もできない働き方をしているので、仕事については相当に割り切っている。こうした労働に対する価値観は女性と一致することが多い。そして食べ物の趣味なども女性と一致することが多いので、仲良くするのは女性の方が圧倒的に多い。親戚にも女性が多いし、男らしさが皆無な私にとっては、こういう中性的で程よい人間関係がちょうどいいのかもしれない。

まとめ

ダラダラと無駄に長く書いてしまった。色々な環境変化もあって、変な見栄や強迫観念から解放されて、とても楽観的・建設的な思考回路を持つことができたかなと。ただ、向上心が弱まったのは事実で、そういう私を気に入ってくれた人やそういうことで切磋琢磨していた人からすれば、今の私は適当な人間であり、イライラする対象なのかもしれない。実際に新しい出会いと同じくらい、昔親しかった人とは疎遠になった。それはそれでよかったかなと思っている。今親しい人とも5年後は疎遠かもしれないし、その分5年後に新しい人と出会っているだろう。一生の仲間は数人いれば十分かな。