シゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか。

シゾイドと正直

高校時代まで理系だった私は、物理が十分に理解できないことを理由に勉強から逃げ、適当に数学のアドバンテージで文系学科を受験し、何の専門も身につけないまま卒業した。今は事務職として働いているものの、気分屋の上司やイベントの多さ、無駄な会議の多さ、調整や人間関係が求められる業務による病気などを経験し、今の文系正社員求人がオールブラックかつ付加価値なしでは生きていけない厳しい現実に気づいたのが2013年や2014年のことだった。

その後、組織にしがみつくだけの漠然とした不安を抱える我慢人生に終止符を打とう、将来的にはプライベートを中心に生活設計ができるようになろうという意志で、医薬品系の資格試験を受験し、合格。今の仕事をやめても行き場がなくなることはなくなった。

さらに、電気関係の資格も取得しようと勉強中。資格があれば生きていけるなどと簡単な気持ちはなく、ただ、色々な分野、特に自分が逃げてしまった理科系の勉強をもう一度し、考える頭を通り戻したいという夢物語のようなきっかけで始めているものだが、この年齢(20代中盤)になって、勉強することや学ぶことが本当に楽しく面白く、それができることが恵まれているのだと実感する。

高校時代や大学時代に、なぜ学ぶありがたみを感じることができなかったのか、知的好奇心を持ち続けることができれば、こんな無味乾燥な落ちぶれにはなっていなかっただろう。それだけは確信をもって「人生最大の過ちだった」と後悔している。

もともと私は団体行動が苦手で、目立つのも嫌いだったので、何か武器を身につけなければと思っていた。小学生時代から数学が好きで、どんどん習い事の先取り学習で数学が得意になり、数学だけで中学入試も大学入試も突破することができた。だから「変わり者としての生存競争能力の追求」は意識していたはずだったのだ。

だが、一時期、交友関係や性格が大衆化した時代があって、友人も一時的に増えたことから、「もしかしたら自分も普通に会社に入って、組織の中で要領よく楽しめて、そこそこ昇進して、結婚して、家庭をもって、いわゆる勝ち組人生といわれるような人生を謳歌できるんじゃないか」などという無根拠で愚かな勘違いをしてしまった。

これが人生最大の過ちだったのだ。サラリーマンとして一般人と同じように、もっといえば一般男性の標準的な生き方と同じようにできると思い込んでしまったのだ。当然そんなのは間違いで、部活もやったことがなく、スポーツや恋愛に興味がなく、精神論的な労働至上主義に違和感を持ち、社会的地位への執着が一切なく、人の上に立ちたいとも思わない私に、普通の男性の生き方ができるわけがなかったのである。

就労してから、やはり年配男性との価値観の相違、働き方の相違、オヤジ社会への違和感など、まったく適応できない自分自身に気づく。そして何より、人間関係の崩壊を随所で見てきたこともあり、人間に対する興味もなくなっていた。こんな自分に普通の人生など送れるはずがなかったのだ。

18の時にそう気づいていればよかったのかもしれないが、過去を後悔しても仕方がない。当時はブランドや周囲の目線を追いかける呪いにでもかかっていたのだろう。本当の私は、楽観的でいい加減ながらも、性質は暗い人間で、ワイワイ盛り上がるのは苦手なのだ。外の仕事になんて一切興味がないし、社会的地位も会議も全部いらない。家で魚焼きグリルを必死で掃除している時間が一番幸せなのだ。誰とも折衝したくないし、打ち合わせももうたくさんだ。

今もう一度大学に入るとすれば情報通信や防災、醸造を学んでみたい。大学に入ることは難しいので、本を読んだりしている。趣味の街歩きも全国一人旅も大詰めだ。介護にもずいぶん関わった。会社にしがみつかないようにいろんなことを見たり知ったりしていきたい。家族や友人知人との関係も良くしていきたいと思う。

ようやく正直な自分のスペック、社会不適合者としての自分自身を認めることができたように思う。これも震災後に起きた大きな変化だったのだ。昔よりも遥かに満足な日々を送っている。