スキゾイドパーソナリティ障害の生存競争

人工知能は人間よりも優しい存在になりうるか

シゾイドと自己責任論の恐怖

 

アンダークラス (ちくま新書)

アンダークラス (ちくま新書)

 

 

アンダークラス』を読んだ。データ分析を軸として貧困に陥った人々の経緯を淡々と説明するスタイルで、理解しやすかった。書いてあることは悲惨なことだが、現実なのできちんと認識しないといけないと思うし、自己責任論の一派にならないようにこういう情報は常に更新していきたいと思っている。

この国の貧困や格差は絶望的なものであり、国民がそれを容認している部分が大きいと感じた。裕福な人間が裕福であるために貧しい人間が貧しくあらねばならないという資本主義の致命的な構造を感じ、必ずしも貧困層が固定的でないこともわかった。(転落はあっても上昇はほとんどないが)

興味深かったのは、当然の話ではあるのだが、アンダークラスという層に陥る人々の多くが家庭や学校などの社会から排除された人間であるということ。家庭内暴力やいじめなどを受けて社会から排除され、また自らも社会参加や人とのつながりを希求することができなくなっている状態がデータから見られた。もともと恵まれていても学校地獄で排除されたり否定されたりすることで、その後の対人関係構築に致命傷を与え、それが資本主義においてあらゆる機会を奪うという構造だ。精神的な困窮状態が経済的な困窮状態を連鎖的に発生させるような仕組みが作られていることがわかる。

学校や家庭はそんなに幸福な場所ではない。今でこそ壮絶ないじめなどが表面化され、問題視されるだけよいが、昔は違っただろう。泣き寝入りなど被害者が我慢させられていたケースは多かったはずだ。学校教師による暴力も今以上だっただろうし、それゆえ暴力が暴力を許す社会が続いたのではないだろうか。弱い者が悪い、という正義感が蔓延し、一部の人間にとって、学校の健全さがその凄惨さを助長していたに違いない。学校は正しく清い場所なのに、なぜ適応できないのかと攻め(責め)られれば、逃げ場もない。今でこそ当たり前の人権として個性の尊重が標榜されるが(それでもまったく不十分だが)、昔はそれを認めないことが平然と行われていたわけだから、恐ろしいと思うし、その枠組みから排除された人間が高齢引きこもりとなっているのは無理のない話だろう。

子供の自殺が深刻化する今、自殺さえできずに生き延びた人が、社会から断絶され貧困に陥っている。そう考えると、その人生がどんなものだったかは想像することさえも恐ろしい。他人事のような冷酷な傍観しかできないことが情けないが、20世紀に苦しんできた人たちの壮絶な人生と精神の傷は計り知れないだろうと思う。20世紀少年で描写されたように、過去を修正しても決して解決しない不可逆的な過ちがごく少数の人間を生きる屍にしてしまったといえる。まだ一巡しか読んでいないので細かな統計データなどは正確に認識していないが、世代間論争などがいかに無碍であるかがわかる。その人の背景や見てきたものがすべてを左右する。その背景にあるものは、健全という仮面を被った暗黒のコミュニティ・コミュニケーション地獄だ。